引っ越ししたリファレンスノート

20%しかいない人たちのためのブログ

スウェーデンのあれやこれや

スウェーデンが落ち目のNATO加盟に固執しているのはどうしてなのか、不思議に思っていました。

ジョン・ヘルマーのブログを読んで、なんとなく納得しました。和文ここ

ピョートル大帝とロシア軍がポルタヴァの戦いでスウェーデンを破り、国王、将軍、兵士、そして帝国を失ってから、あと1カ月でちょうど300年14年になります。1709年7月8日の戦いは、スウェーデンの軍事史上最大の惨事であり、彼らがロシアに対して今なお抱いている最も恨めしい恨みである。
スウェーデンは自分たちの劣勢を受け入れ、ヨーロッパの小国となることを余儀なくされた。それ以来、彼らの戦略的計算は、ヨーロッパでは勝ち組に徹することで資源を節約し、クレムリンへの復讐を期待することであった。ウクライナ東部のポルタヴァでは、スウェーデンの資金、武器、人材があれば、キエフの政権が何とかなると、今も期待している。

北方で覇権を握っていたスウェーデン王カール12世がポルタヴァの戦いでロシアのピョートル1世に破れ、以後スウェーデンは没落していくのですが、 戦いの舞台となったポルタヴァはいま話題のウクライナなんですよ。

Image from Gyazo

カール12世の肖像画から、当時の軍服の色がスウェーデン王家の紋章と国旗が元になっていたようですが、ウクライナの国旗色も同じなのは、なにかの縁なのでしょうか。 キエフ大公国の貴族階級はもとを辿ると北からやってきたヴァイキングですし。

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